2018年、台湾生活の始まり
今では帯鋸盤を中心に、工作機械の販売・修理・メンテナンスをしています。
その中でもCOSENの機械とは長い付き合いがありますが、実は私とCOSENとの関わりは、日本で機械を販売するところから始まったわけではありません。
以前、台湾COSENへの就職が決まり、現地で働いていた時期があります。
今回は、その始まりの話です。
2018年10月、台湾へ
2018年10月。
台湾COSENへの就職が決まり、ビザ取得などの手続きもあり、台湾へ渡りました。
出発したのは岡山空港。
タイガーエア台湾を利用しての渡航でした。
旅行ではなく、これから台湾で生活し、働くための渡航です。
今思えば、ここから現在まで続くCOSENとの関係が始まりました。
新竹での生活がスタート
台湾に到着すると、会社から住居として新竹のマンションを用意してもらっていました。
そこで台湾での生活が始まります。
住居が新竹だったので、当然、
「勤務先は新竹のCOSEN本社なんだろう」
と思っていました。
ところが、実際の勤務先は違いました。
勤務先は台中のCOSEN工場
配属されたのは、台中にあるCOSENの工場でした。
新竹のマンションから台中まで、ローカル電車とバスを乗り継いで通勤。
記憶では、かなり時間をかけて通っていたと思います。
台湾に来たばかりで土地勘もなく、言葉にもまだ慣れていない。
そんな中で、新竹から台中の工場へ通う生活が始まりました。
最初は量産機の組立現場へ
台中工場では、主に量産機の組立に入りました。
現場にはさまざまな地域から来た人たちが働いていて、言葉も文化も違う中で、一緒に機械を作っていきます。
私が最初に仕事を教えてもらったリーダーは、アタ。
ただ、最初は仕事以前に大きな問題がありました。
工具の名前が分からない。
機械の部品の名前も分からない。
英語を話せば何とかなる、という環境でもありませんでした。
現場では台湾語でのやり取りが必要です。
そこで、まずノートを持って、工具の名前から一つずつ書いて覚えることにしました。
工具の名前を覚えたら、次は機械の部品の名前。
実際の帯鋸盤を目の前にしながら、
「これは何という部品なのか」
「どこに付く部品なのか」
一つずつ覚えていきました。
今では普通に使っている工具や部品の名前も、当時はノートに書きながら必死に覚えていました。
台湾COSENでの仕事は、ここから始まりました。
まだこの頃は、自分が将来、日本でCOSENの帯鋸盤を販売したり、修理したりすることになるとは全く思っていませんでした。
この続きは、また次回書いてみたいと思います。










